コナラの木の実の田舎で哲学

田舎で時々哲学するブログです

良いこと、良くないこと、全部大丈夫!

良いことがあっても、良くない、いわゆる、ついてないということでしょうか、そんな事があっても大丈夫と、思えるようになって数年経ちました。

 

それまでは、ついてないことがあると、何のせい、何のせいと、誰か、または、物事のせいにして、イライラしていました。

 

しかし、物事は、ほとんど、自分の普段の行いから出ている事がほとんどです。

 

そうして、これは、身から出た錆、自己責任なんだなと、思えるようになったら、人のせいにせず、イライラもしなくなったのですね。

 

そうすると、良いことも、良くないことも、全部、何が起こっても大丈夫と思えるようになりました。

 

しかし、例えば、子育てで、子供に、子供がなにか、いたずらをして、叱ったとする。

 

叱られた子供は、自己責任だな、叱られて当然だったと、反省する大人に育つでしょうか。

 

そんな事はないですよね。

 

叱ってる親が、子供のいたずらを、子供のせいにして叱ってるからです。人のせいにする大人に、子供もなりますよね。

 

そうではなく、この子がいたずらしたのは、なんでなのだろう、もしかすると、いたずらすることによって、親の気をひきたかったのかな、それだけ、子供に寂しい思いをさせてたのかな、と、親が、自分を振り返り、子供のいたずらという良くないことに、自己責任と、めをむければ、寂しい思いをさせてた子供に、どう対応するかなど、考えられるのではないでしょうか。

 

話は脱線しましたが、良いこと、良くないこと、どう受け止めるかで、人生、楽になるか、苦労をするか、まるで違う人生になると思います。

 

どんなことも、全部、大丈夫!

 

そう思えるようになったら、人生って、楽になると思いますよ。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

みなさんの幸せ願っております!

にぎっているものを手放す人生

今、握っているものは、なんでしょうか。

 

握っているものと言っても、本当に手にしているものではなく、心の中で握っているものです。

 

人それぞれだとは思いますが、それは、お金だったり、プライドだったり、地位や名誉だったり、それぞれですよね。

 

人は、握っているものに助けられる時もあります。

 

しかし、握って、離さないが故に、苦しみを生み出すことがあります。

 

私には、OOの権利がある!と、権利を握って、主張しすぎると、うまくいかないという、経験はなかったでしょうか。

 

それを、こじらせて、自分には、人を裁く権利がある!と思い込み、ネットでの、凄まじい誹謗中傷などから、自殺者まででたことは、記憶に、新しい事だと思います。

 

誹謗中傷した犯人にきいたら、全く悪い事だとは思わなかった、今でも、やりすぎだかなとは思うが、今でも何が悪いのかわからない、と、テレビで、発言していた人がいました。

 

お金を握っていれば、お金への執着から、犯罪まで、犯す人がいる。

 

犯罪にならなくても、大変心病む人が、大勢いる。

 

小さなプライドにこだわって、手放せず、周りと関係が悪化していく、家族と仲も悪化して、心病んでいく。

 

そんな人たちが、どれだけ、多いでしょうか。

 

そんな中、一人の親御さん(男性)がいました。

 

子供(こちらも男性です)は長い間引きこもり、しかし、それを、親御さんは、プライドが許さず、認められない状態が続いていたそうです。

 

ある時、そのお子さんと、喧嘩になったんですね。

 

お茶をかけられたそうです。

 

そして、その親御さんが、掴みかかっていったんですね。

 

しかし、もう、年齢も年齢、逆に殴られて、やられてしまったそうです。

 

しかし、そのお子さんか、その、父親に、「好きで、親を殴る子供なんているかっ!」と、泣き出したそうです。

 

その時ですね。

 

その、父親の、小さなプライドが砕けて、息子を泣きながら、「すまなかった!すまなかった!」と、抱きしめたそうです。

 

そこから、もう、その、父親には、プライドは、ありません。

 

今まで、家の中に近所の目もあるからと、ひた隠していた、お子さんと一緒に、もう、近所の目など関係あるか!とプライドを捨て去り、休みになると、ドライブして、いろんなところに遊びに行ったそうです。

 

それが続くなか、お子さんも元気と自信がつき、性格も変わり、専門学校へ行くようになり、今は、地方ですが工場で働きながら、一人暮らしをしているという、実話があります。

 

父親は、小さな見栄、プライドをすて、お子さんも、父親への憎しみを捨てて、前を向いて幸せのために歩んでいった。

 

人は、握っているもので、幸せにも、不幸せにもなれます。

 

不要なものは、手放し、ただひたすら、幸せを目指していくのが、賢いやり方だとは、思いませんか。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

みなさんの幸せ、心から願っております!

 

メリークリスマス!良い一日を!

全てを失った時、この年齢だから、もうおしまいだと、思うのか、今が一番若い時!まだまだ、やり直せる!と、思うのか。

全てを失ったとき、もうおしまいだ、人生終わった。

 

と、思う時があると思います。

 

そうですよね。

 

全てを失って、失望しない人はいません。

 

今まで積み上げてきたものを全て失ってしまったのですから。

 

失ったものは、お金かもしれませんね。

 

お金だけなら、いいですが、もしかすると、離婚などで、家族も失ってしまったかもしれません。

 

人間、どん底の時は、どん底の気分を、味わったほうがいいです。

 

無理に元気になろうとしても、どこかに無理がかかってしまいますから。

 

しかし、どん底の気分を味わい尽くした後はどうでしょうか。

 

そのまま、どん底で、人生おしまいだ。

 

と、そのまま、どん底のあわれみを、自分にかけ続けるのでしょうか。

 

それとも、他のどん底の方々と、どん底自慢でも、しましょうか。

 

それでは、人生つまらないですよね。

 

どん底を、味わい尽くした、あなたには、どん底を味わい尽くした人間の、ねり鍛えられた味わいが、醸し出されているはずです。

 

どん底を、味わった人間にしか、できない事が、出せない答えがあるはずです。

 

どん底であればあるほど、醸し出す味わいは、深いはずです。

 

事故で、重い障害をもって、どん底を味わったが、今は、輝いて生きている人。

 

前の会社が、倒産してしまったが、また新たな挑戦に挑もうと輝いている人。

 

どちらも、前向きで、その人から、人生の立ち直りまでの、あゆみをお聞きすると、とても、勇気づけられることは、大いにありますよね。

 

まさに、そのような方々は、「今が一番若い時!今、チャレンジせずに、いつするのか!」と、いきいきと輝いて生きてらっしゃいます。

 

人間、さまざまな理由で、挫折しますよね。

 

失敗したのが、歳をとったあとで、この年齢だから、もうダメだ、と、諦める人も、いることは、理解できます。

 

しかし、私の知っている人で、70歳代から、会社を立ち上げ、世の中に打って出ようとする人がいました、外国の話ではないです、日本の日本人の話です。

 

外国では、カーネル・サンダースさんが有名ですよね。

 

60代で破産して、秘密のスパイスを、売り歩き、ようやく売れたのが、70歳。

 

そこから、誰もが知る世界的なサクセスストーリが始まりました。

 

全てを、失って、どん底を味わい、そこで人生終わって生きたまま死んでしまうのか、それとも、どん底を味わったからこそ、醸し出すことのできる、人としての魅力を武器に、今が一番若い時!と、何度でも何度でも、立ち上がって、やがてあなたが亡くなった時、周りの人に、この人は、最後の瞬間まで、生きる輝きを失わなかった、私たちもこの人のように輝いて生きていきたいものだ、と、亡くなってもなお、多くの人の心の中に輝いて生き続けるのか。

 

人生は、選択です。

 

どのように生きるかは、自由です。

 

しかし、亡くなってもなお、多くの人の中に生き続ける人生を生きていきたいものでは、ありませんか?

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

皆さんの、豊かな人生、願っております!

どうしてこんな家庭に生まれた、が、このためにこの家庭に生まれたに変わるために!

どうして、こんな家庭に生まれたのか、と思う時がありますね。

 

それだけでなく、なんであんな事が、私の身に降りかかったのかと、自分の不幸せを嘆く時があります。

 

人は、そのような時、さまざまな反応をしますね。

 

絶望感に打ちひしがれて、人生を、棒に振る人もいるでしょう。

 

憎しみに生きる人もいるかもしれません。

 

しかし、人生、Aという事があるから、A'という答えがでて、皆が皆、そう反応するわけではありませんよね。

 

同じ事があっても、これがあったから、私の人生、めちゃくちゃになった。

 

という人もいれば。

 

この事があったからこそ、私の人生の、幸せ、もしくは、生きがいが生まれた。

 

という、人がいます。

 

つまり、Aという物事は、変わりません。

 

しかし、そこから、どう反応するかは、その人の心の持ちようという事です。

 

どうして、こんな家庭に生まれたのか。

 

そう思う時もあるでしょう。

 

常人では、考えられない家庭も、世の中ですから、あるものです。

 

話を聞けば、よく生きてきた!と、涙を流して抱きしめてあげたくなる人は沢山います。

 

まさにサバイバーです。

 

しかし、そのようなサバイバーの中から、多くの人を癒す、素晴らしいカウンセラーや、NPO法人を立ち上げたり、多くの人の心の涙を拭いてあげている、そんな活動をしている人々も、沢山出てくるのです。

 

よく、慈善事業をしている人々を追いかける番組などで、その代表の家庭環境が出てきますが、必ずしも恵まれていると、いうわけでないのは、皆さんご存知のとうりとおもいます。

 

むしろ、その悲惨な出来事があったからこそ、そのような活動をしているという人々の方が多いのではないでしょうか。

 

実業家のカーネル・サンダースは、イメージは穏やかなお爺さんといったイメージですが、小さな頃は、大変な、家庭環境で育ってきたものだと、調べてみると思わされます。

 

カーネル・サンダースさんの人生に、その幼少期の家庭環境の影響が、全くなかったとは、言えないでしょう。

 

どうして、こんな家庭に生まれたのか!と、いつまでも、憎しみ、絶望感を味わい続けるのも、それはそれで良いのではないかと思います。

 

それを選んだのも、人生。

 

しかし、やがて、この家庭に生まれたからこそ、今でも恨みはあるが、その恨みをバネにして、最高の幸せを手に入れてやる!

 

と、考えれば、もう幸せの只中にいるのではないかと思います。

 

やがて、振り返れば、あの事がなかったら、こんなに幸せになってなかったと、思えるような人生を人は手に入れるものです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

皆さんの幸せ、願っております。

なぜ、は嫉妬を生み出す、どうか、は希望を生み出す

人が何かを思う時、なぜ、と思う時と、どうか、と思う時がありますね。

 

例えば、なぜ、あんな事が、とか、なぜ、あいつが、とかですね。

 

どうかの時は、どうか、あいつが、とか、どうか、あの事がとか、ですね。

 

違いはなんでしょうか。

 

それは、なぜは、後ろ向き、恨み、嫉妬、どうかは、前向きな、祈り、希望、だということです。

 

なぜ、という時、どんな気持ちでしょうか。

 

なぜなのですか!と、人がいう時、絶望感に打ちひしがれていませんか?恨みがそこにはないでしょうか?

 

なぜ、あの人ばかり、あんないい事が起こるのか!なぜ、私にばかり、こんな不幸が起こるのか!

 

みな、後ろ向き、恨み、嫉妬を生み出しています。

 

では、どうかは、どうでしょう。

 

どうか、平和でありますように、もしくは、戦争がなくなりますように!や、どうか、幸せになれますように、良い事が起こりますように!など。

 

おもに、前向き、希望、願いを叶えることに、つかわれますよね。

 

方向がまるで違います。

 

ただ、どうか、あの人が不幸になりますように、というのもありますが、それも、祈り、希望であって、それも、もし、神秘的なもの、大宇宙や、グレートスピリッツというものがあるとすると、不幸になりますようにという願いは、その、存在に、自分のその、憎しみを手放す行為ですよね。

 

憎しみを、手放すということは、希望が生まれます。これからは、前向きに生きていこうと思う事ができます、新たな、スタートを切るきっかけになります。

 

かたや、なぜは、手放せません。

 

手放さない憎しみは、いつまでも、自分も、まわりも傷つけていきます。

 

その先にあるのは、少なくとも、幸福ではありません。

 

少なくとも、憎しみであっても、どうか、と祈るとき、前向きな希望をもてますよね。

 

スッキリします。

 

幸せにつながるきっかけになりますね。

 

なぜは、自分から手放せません、自分で解決せざる終えないので苦しみますが、どうか、は、自分より、より、大きな存在、たとえは、神社などでも、どうか、と願ったりしますよね。自分より、より、大きな存在に願うので、安心します。苦しみから、憎しみから、解放されるんですね。

 

そして、なぜは、いつまでも、嫉妬を生み出しますが、どうかは、新しい前向きな、希望を生み出します。

 

ただでさえ、どうか、という願いは、平和、幸せ、愛、夢、健康など、なぜ、では、祈れないものを、祈る事につかいますよね。

 

なぜ、平和なのですか、憎いです!とは、なかなかいいませんからね。

 

どうかと、祈る時、それが、希望であれ、憎しみであれ、前向きな、人生のスタートになります。

 

どうかが、希望であれば、それでよし。

 

どうかが、憎しみであれば、神秘的な大きな存在に、その憎しみを、手放し、新たなスタートを切るきっかけになる。

 

なぜと、心を乱すのか、どうかと、祈り、もしくは、どうかと、憎しみを手放すのか、それは、人それぞれです。

 

一度きりの人生、どちらでもいいと思います。

 

しかし、せめて、皆さんには、私は、どうか、幸せになってほしいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

どうか、皆さん、健康で、幸せでありますように、、、

全てが、輝く人生!

人生、良い時もあれば、悪い時もありますよね。

 

しかし、本当に、良い事が立て続けにおきれば、人生面白いばかり、幸せと、言えるでしょうか。

 

海外の昔のドラマに、とあるギャンブラーの、死後の世界を題材にした回がありました。

 

死後の世界のギャンブラーは、何をやっても勝ちまくり、ギャンブルというギャンブルをやり尽くして、「何をやっても、勝ってばかりの天国のような世界は、面白くないな!」と、いうんですね。

 

しかし、それを聞いた、死後の世界の案内人は、「いつ、俺が、お前を天国に連れてきたと言ったんだ」と、言うんですね。

 

うまいことばかりが起こり続ける人生。

 

そこに、本当の成長、人生の深い味わいがあるのでしょうか。

 

大航海時代、人々は、スパイスを求めて、危険な船旅に出発していきました。

 

その頃は、胡椒一粒が、黄金一粒の価値のあった時代です。

 

人生も、そうではないでしょうか。

 

ピリリとからい、スパイスがあるからこそ、味わいがある人生。

 

良い時ばかりでなく、悪い時もあるから、人間、練り鍛えられた深い味わいがある人生になるのですよね。

 

あの試練、困難な事があったからこそ、今が輝いている。

 

大変な試練、困難を乗り越えてきたからこそ、深い味わいがある言葉を話される方というのは、まわりにいらっしゃいませんか。

 

あるいは、そのような経験をされた人が書かれた本は、時にベストセラーになったりしています。

 

その、悪い時期を乗り越えてきたからこそ、同じ苦しみを味わって、まさに今、ただ中にいらっしゃる方々を助ける活動を、していらっしゃる方もいます。

 

元、登校拒否で、そのまま引きこもり、しかし、沢山の方々の助けを借りて、引きこもりを、沢山失敗もしながら抜け出し、今、引きこもりカウンセラーとして、活躍してらっしゃる方もいます。

 

その、只中にあったときは、本人にとっても、家族にとっても、試練、困難だったでしょう。

 

しかし、それがあったからこそ、今、輝いている!

 

むしろ、その経験がなければ、これほどまでに喜びに満ち溢れた人生を送る事はなかった!

 

人生とは、そういうものですよね。

 

もちろん、引きこもりの家庭が不幸だと言っているわけではありません。

 

引きこもりの息子、娘を抱えて、これでいい、このままでいい、今の親子関係で、ありのままを受け入れて生きていこう!

 

と、また、社会復帰とは違う、社会の価値観などにとらわれない、幸せを見つけられたご家庭もあります。

 

良い時ばかりでなく、良くない時もあったからこそ、「最高の人生だった!」と、人は、光り輝く人生を送れるのではないでしょうか!

 

時にピリリと辛いスパイスで味付けられた人生、試練、困難を乗り越えてきたからこそ深い味わいがある人生、輝く人生を生きていきたいものです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

皆様の幸せな人生願っております!

仕事を、ワークとするか、ミッションとするか

仕事がつまらない、つまらない。

 

と、嘆く人がいますよね。

 

嘆いてもいいんです。

 

それは、心の叫びなのだから、嘆かなければ心が壊れてしまいますから。

 

大切なことだと思います。

 

しかし、仕事を生きがいとしている人もいますよね。

 

現代、いかに楽に素早く大金を稼ぐか、が、多くの若者の間に流行っていると、聞きます。

 

しかし、楽を求めれば、騙される覚悟も必要になってきます。

 

簡単に、5分の作業で、1万円。

 

普通に考えれば、おかしいですよね。

 

しかし、そんなものに、騙されてしまうほど、今の時代の普通の仕事に魅力がないと言うことです。

 

仕事の魅力とは、なんでしょうか?

 

仕事の魅力は、お金を稼ぐこともあるでしょうが、それだけ見れば、ただのワークです。

 

仕事の本当の魅力とは、仕事のその先にある、「ミッション」が、本当の魅力なのです。

 

レンガを積む仕事があったとして、それを、ただの、レンガを積む仕事だ、というのか、時給は1500円、悪くはないな、とみるのか、それとも、その仕事のミッション、このレンガを積んでいくと、その先には、多くの人を癒す、大聖堂が出来上がるんだ!と、思い描いて仕事をするのか。

 

仕事の内容か、仕事のお金か、仕事のミッションか。

 

どれを思い描いて仕事をすれば、喜びが溢れるかは、ここで書かなくても、もう、お分かりだと思います。

 

今の時代、若者にとって魅力ある仕事がないと言うことは、使命ある会社が、だんだんと少なくなっているのかもしれませんね。

 

会社は、営利団体です。

 

利益を追求することが仕事です。

 

しかし、あまりにも、会社で働いている人にまで、利益第一主義を押し付けて、会社の理念が、形骸化していないでしょうか。

 

JALを再生した、私の尊敬する稲盛和夫さんは、ごく単純な常識的なことも、当時のJALの社員さんは、できていなかったと言われていました。

 

心ですね。真心と言いますか、思いやりや、喜んでもらえて嬉しいと言う心がなかった。

 

利益第一主義で、どこかで、それを忘れている。

 

仕事が、ワークなら、お金を稼ぐだけのものとして働いていてもいいでしょう。

 

しかし、ワークではなく、仕事をしていて、これをやれば、お客様に喜んでもらえる、お客様の人生を私の接客で感動して変えるかもしれないと言う真心。

 

あるところに、警察を目指している若者がいました。

 

なぜかと聞くと、警察が安定して稼げるから、ではないんですね。

 

昔、ある警察官の方から、私はすごく助けていただいた、だから、警察になって、同じように、人を助けたい。

 

これが、お金を求めるワークでなく、使命、ミッションに生きると言うことではないかなと思うのです。

 

ワークではなく、ミッションに生きる。

 

そこには、お金は関係ありません。

 

仕事が、つまらないものではなく、喜び溢れたものとなるでしょう。

 

それは、今できます。

 

その仕事をして、結果、どれだけの人が救えるか、助かるか、喜ぶか。

 

そして、感謝の心いっぱい仕事をする。

 

そうすれば、つまらなかった仕事が、次の瞬間から、喜びに変わるでしょう。

 

そうすれば、上司も同僚も、「あなた、最近、生き生きしてるね。」と、見る目、評価も自然と変わってくるでしょう。

 

あなたの喜び溢れる人生を祈ります。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!